Q ずっと疑問だったんです。なんで梅an先生を終わらせたのですか?
●京都市/梅an先生(フリーライター)
A いやあ、光栄です。この場を借りて、なぜ連載を打ち切ったかを書かせてもらえるなんて。
はじめまして。私が、アルバイト情報誌『an』の名物コラム『梅an先生』の連載打ち切りを決めた最後の担当者です。
それにしても。まさかこのようなブログを立ち上げ、名残惜しく当時の連載を再掲載し(加筆もせずに)、おまけに「なぜ打ち切ったのかを釈明せよ」なんて、うめはらさんの私への厭味も相当なものであります。
思い起こせば、私は通算4人目の担当者でした。当時24歳の新前編集者がこの、林編集長すらメスを入れない聖域コーナーの担当になったのは、編集部が私にかける期待の表れでもあったのでしょう。確かに『梅an先生』は人気がありました。質問も来ていました。原稿料も1本8,000円程度でありました。あらゆる角度から考えて、誌面効率がとてもいいコーナーでした。ならばなぜ、止めなければならなかったのか!
それは、次の連載に、村上春樹さんの「教えて春ちゃん!」が決まりかけていたからであります。
この話は墓場まで持っていこうと思っていた話です。今ここで、白状することになろうとは思いませんでした。
私は、その連載を本決まりにするべく、まずは態度で示さねばと、考えたのです。「スペース空けて待ってますよ」。この一言が最後の口説き文句になると、考えたのです。
断腸の思いでした。あまりの苦しさに、何度かビルの屋上に上ったこともあります。私の手首はためらい傷の嵐でした。梅ちゃんか、それとも春ちゃんか――。しかし遂に、決断を下したのです。
うめはらさんに連絡をしました。あまりの出来事に唖然としつつも「なぜか」とは一言も聞かず、「まあ、もう随分長くやってますさかいになあー」と男らしく身を引いた梅an先生。私はその姿に、思えば男の生き様を学んだ気がします。
その後も、うめはらさんとの仕事は続き、私はライターうめはらてるひこを日本一の腕だと、方々で宣伝しています。しかし今日まで、この一連の出来事は、お互い口にすることはありませんでした。それが、もしかすると小さな溝に、なっていたかもしれません。
それが今日、雪解けになりました。お互いの心に、橋がかかったとでも申しましょうか。今日からふたりは、隠し事ひとつない、お互いに身体を許し合える関係へと突き進んでいきます。これも、皆さまのおかげです。ありがとうございました。
思えば当時、やはり私は若かった。そして、あのとき唯一誤算だったことは、結局村上春樹さんの連絡先がわからなかったことでありました。
*当時、実際に編集担当だった団遊さんに寄稿いただきました。このように胡散臭い話で人を煙に巻く巧みな話術を活かして、東京で社長さんをなさってるそうです。いやあ、団さん、最後の最後に取っておきの秘話をありがとうございました!
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